【軽井沢・レーモンド】日本のモダニズム建築における生みの親

  • Pocket

アントニン・レーモンドという建築家をご存知でしょうか。チェコ出身の彼は、かの有名なフランク・ロイド・ライトに師事し、帝国ホテル建設の際に来日します。モダニズム建築の優れた作品を数多く生み出し、そのうち数軒は軽井沢にも残されています。今回はレーモンドの足跡と、軽井沢に残る作品を解説していきたいと思います。

聖パウロ教会

フランク・ロイド・ライトに師事。その後、モダニズム建築に目覚める

アントニン・レーモンドは、1888年(明治21年)に、オーストリア=ハンガリー帝国(現在のチェコ)に生まれました。プラハ工科大学で建築を学び、卒業後にアメリカに移住。結婚し、1916年に市民権を得ると友人の紹介でフランク・ロイド・ライトの事務所に入所します。その後、一時はライトのもとを離れますが、帝国ホテル設計のための日本行きをライトから打診され、再びライトのもとで働くようになりました。

1919年に来日。その後、1922年に独立し、レーモンド事務所を開設します。聖路加国際病院や東京女子大学礼拝堂、旧イタリア大使館日光別邸など次々と設計。鉄筋コンクリート造という新しい技術を駆使し、芸術的な表現を追求した建築家オーギュスト・ペレの影響を受けながら、モダニズム建築の最先端を走るようになるのです。

日本への愛情と戦争早期終結への思いのはざまで

その後、日本を取り巻く国際情勢の悪化により、アメリカのペンシルベニアに事務所を構えます。実はレーモンドは日本をこよなく愛していましたが、第二次世界大戦時、アメリカの対日戦争協力者でもありました。焼夷弾の効果を実証実験するため、砂漠に日本家屋の街並み再現した際に力を貸しているのです。自伝には日本へ愛情と戦争の早期終結への願いと言った矛盾する苦悩が綴られていますが、一部の日本人建築家から非難も受けています。

大戦後、1947年に再来日。リーダーズダイジェスト東京支社の設計など、数多くの作品を残します。そして1973年にアメリカに帰国し、引退。1976年にペンシルベニアで亡くなりました。前川國男、吉村順三、増沢洵、津端修一など、多くの日本人建築家に大きな影響を与えたことは、まさに功績です。それを表すように、1964年には勲三等旭日中綬賞を受賞しています。軽井沢では、1933年に「夏の家」を、1934年に「岡別邸」「小寺別邸」「聖ポール教会(現軽井沢聖パウロカトリック教会)」を相次いで生み出し、戦後も1962年に「軽井沢の新スタジオ」、1966年に「もみの木の家(足立別邸)」を設計しています。

夏の家 タリアセン

レーモンド・夏の家

1933年にレーモンドの別荘として建てられたもの。現在は、「軽井沢タリアセン」において「ペイネ美術館」として利用されています。ル・コルビュジエの計画案を採り入れたことから、コルビュジエから盗作の指摘を受けました(その後に和解)。

レーモンド・夏の家

聖パウロ教会 旧軽井沢

レーモンド・聖パウロ教会

傾斜の強い板葺きの三角屋根と大きな尖塔、打ち放しのコンクリートが特徴的な軽井沢聖パウロカトリック教会。屋内は木が現しになったエックス型のトラスト構造となっており、2003年にはDOCOMOMO JAPAN選定「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選定されています。

まとめ

別の記事でご紹介した建築家ヴォーリズは、軽井沢に100を超える建物を建て、今も現存するものが多くありますが、レーモンドが手掛けたそれは数が少なく、残っている建物もわずかです。ぜひ「夏の家」や「聖ポール教会(現軽井沢聖パウロカトリック教会)」に足を運び、彼のモダニズム建築に対する想いに触れてみてはいかがでしょう。

  • Pocket

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*