【軽井沢・堀辰雄】軽井沢を愛し、軽井沢が舞台の作品も残した文豪

  • Pocket

軽井沢には、芥川龍之介や室生犀星、有島武郎や北原白秋など、数多くの文学者が訪れ、滞在した場所でもあります。その美しい自然と清涼な空気が、創作意欲に刺激を与えたのかも知れません。そんな軽井沢にゆかりのある多くの文豪たちの中から、今回は「風立ちぬ」などの作品で知られる堀辰雄に焦点を当ててみたいと思います。

中学時代は数学者を目指すも、生涯の友との出会いにより文学の道へ

堀辰雄

出典:Wikimedia Commons

堀辰雄は、明治37年に東京に生まれました。父は広島藩の士族で、東京地方裁判所の監督書記を務めていたそう。実はこの父には広島県に正妻がおり、辰雄が2歳の時、産んだ子を堀家の嫡男として取り上げられるのを恐れた母が辰雄を連れて家出。4歳になる頃、母は再婚し、以来、辰雄は義父が死ぬまで実父と思い、育ったと言います。

幼少より文学の道を目指していたかと言えばそうではなく、中学時代は数学者になることを夢見ていた辰雄。大正10年に第一高等学校理科乙類(東京大学教養学部および千葉大学医学部、同薬学部の前身)に入学。終生の友人となる神西清(ロシア文学者、翻訳家、小説家、文芸評論家として活躍)の導きにより、文学に目覚めるのでした。

室生犀星、芥川龍之介との出会い。舞台は軽井沢

芥川龍之介

出典:Wikimedia Commons

堀辰雄と軽井沢のかかわりは、大正11年8月のこと。中学時代(東京第三中学校:現東京都立両国高等学校・附属中学校)の校長から室生犀星を紹介され、室生とともに訪軽したのが最初です。室生からは同年10月に芥川龍之介を紹介され、その後大きな影響を受けることになります。

その大正11年は、辰雄にとって波乱の一年となりました。室生犀星や芥川龍之介らとの出会いという素晴らしい出来事だけではなく、同年9月に発生した関東大震災を被災し、母親を亡くします(水死)。震災で行方不明になった母を探すため、数日間にわたり隅田川を泳ぎ回った彼は、心身ともに大きなダメージを受け、冬には肋膜炎を罹患。そんな思いもよらぬ体験が、その後の堀辰雄文学を形作ることになりました。

以来、同人誌活動等を通じて数多くの作品を発表。そんな中、大正13年7月には軽井沢に暮らす芥川を訪ね、芥川の恋人である片山広子やその娘・総子と知り合い、総子に恋心を抱きます。大正14年の7月から9月にかけて軽井沢に部屋を借り、芥川龍之介に随伴して峠や古い駅などを見て回わるなど、さらに親交を深めていく辰雄。この頃にはスタンダールやアンドレ・ジッドなどフランス文学に触れ、それらは辰雄独自の文学世界の創造に深く影響を与えました。

芥川龍之介の死。心労がたたっての病。そして軽井沢での別れと出会い

昭和2年7月。またも堀に不幸が訪れます。それは芥川龍之介の自殺。大きなショックを受ける中、芥川の甥である葛巻義敏とともに「芥川龍之介全集」を編纂しますが、心労がたまり、再び重い肋膜炎を患います。

その後、文壇で高い評価を得ていく堀辰雄は、幾度となく軽井沢を訪れます。精力的に作品を残す一方で、何度も喀血するなど病気に苦しめられます。片山総子との別離後には、心労をいやすため軽井沢の「つるや旅館」に滞在。その美しい村で絵を描いていた矢野綾子と知り合い、翌年の昭和9年に婚約するのです。

つるや旅館
今も当時の建物が残る「つるや旅館」

しかし、彼女も肺を病んでいたため、昭和10年には2人で八ヶ岳山麓の冨士見高原療養所に入院することに。悲しいことにその年の12月には、綾子は亡くなってしまいます。この体験を小説にしたのが、堀辰雄の代表作のひとつである「風立ちぬ」。昭和11年から12年にかけて執筆されました。小説内に出てくる「風立ちぬ、いざ生きめやも」は、ヴァレリーの詩集『海辺の墓地』の一節を堀が意訳したものだそう。「風が吹いた。さあもっと生きようか」といったような意味だと言います。

ジブリ作品としても多くの人に愛される、名作「風立ちぬ」

「風立ちぬ」と聞いて思い浮かべるのは、スタジオジブリの作品「風立ちぬ」という方も多いことでしょう。主人公である堀越二郎と里見菜穂子が再会を果たす軽井沢のとあるホテル。映画の中では草軽ホテルという名ですが、外観が万平ホテルにそっくりです(一部では上高地の帝国ホテルではないかという意見もあります)。メインダイニングの描写も万平ホテルの雰囲気を色濃く表していると感じるのは、私だけではないでしょう。

堀辰雄の径
堀が暮らした1412番別荘の前を通る道は「堀辰雄の径」と名付けられている

昭和13年、堀辰雄は追分で知り合った加藤多恵と室生犀星の媒酌で結婚します。軽井沢に別荘を借りて新居とし、昭和16年には1412番別荘(現在、軽井沢高原文庫に移築)を購入。近くにはチェコスロバキア公使館の山荘、マンロー病院(サナトリウム)などが建ち、公使館から流れるバッハのト短調フーガや可憐な野薔薇、アカシアの香りなどのこのあたりの情景は、名作「美しい村」で素敵に表現されています。

軽井沢高原文庫に移築された「1412番別荘」
1412番別荘の玄関〜テラス

堀はこのような幸せな時間を過ごしますが、常に病気と隣り合わせの生活も送っていました。昭和19年の戦時下には結核が悪化し、多恵と出会った追分の油や旅館近くの住居に疎開。その後も作品を発表するものの、昭和28年5月、病状が悪化。同月28日にこの世を去りました。48歳の生涯でした。

追分の住居は保存され「堀辰雄文学記念館」となっている

まとめ

堀辰雄にはさまざまな代表作がありますが、大きな影響を受けた芥川龍之介にまつわる作品を最後にお伝えしたいと思います。

  • 昭和2年2月:片山総子をモデルにした処女作「ルウベンスの偽画」の初稿を発表
  • 昭和2年9月:「芥川龍之介全集」編纂に参加
  • 昭和4年3月:卒業論文「芥川龍之介論」
  • 昭和5年11月:芥川の死をモチーフに、この頃におきた身辺体験を描いた「聖家族」を発表

堀辰雄ゆかりの場所

  • Pocket

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*