【堀辰雄・1412番山荘】軽井沢高原文庫に移築された堀辰雄の山荘

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「風立ちぬ」など多くの名作を残した文豪・堀辰雄。彼と軽井沢との縁の深さは、「【軽井沢・堀辰雄】軽井沢を愛し、軽井沢が舞台の作品も残した文豪」に詳しく記しています。今回は、その記事中にも書かれている、堀辰雄の山荘についてご紹介したいと思います。

入館料を払えば、部屋の中まで見学することができる

軽井沢 堀辰雄 1412別荘
軽井沢高原文庫に移築された堀辰雄の山荘

昭和13年に、堀辰雄は加藤多恵という女性と結婚します。そして軽井沢で別荘を借り受け、そこを新居として暮らし始めるのです。その以前から、たびたび軽井沢を訪れていた堀は、この地がとても気にったのでしょう。昭和16年に1412別荘を購入するのでした。

この1412別荘は、もともと米国聖公会宣教師であったP・A・スミスの別荘として建築されたもの。スミス氏が帰国することになったため、堀辰雄が購入することに。昭和19年までこの山荘で過ごしたそうです。

当時は、旧軽井沢に建っていましたが、平成20年に長倉塩沢にある「軽井沢文庫」の敷地内に移築されました。軽井沢文庫のお庭からその姿を見ることはできますが、山荘の近くに寄ることはできません。より詳しく堀辰雄山荘(スミス別荘)を見るためには、軽井沢文庫の入館料(大人:高校生以上800円、小人:小中学生400円)を払わなくてはなりません。でも、それを払ってでも見る価値はアリ。部屋の中まで入ることができます。

軽井沢 堀辰雄 1412別荘
カバードポーチのあるこじんまりとした山荘

カバードポーチのあるこじんまりとした山荘には、大きな暖炉が設えてありました。現代の住まいとは比べ物にならないくらい壁は薄く、さぞかし冬は寒かっただろうと想像します。でも、堀がこの山荘に暮らしたのは、昭和16年から4年続けて、初夏から秋にかけてだったそうです。部屋の中には室生犀星からもらったという家具が置かれていました。

まとめ

この山荘には、戦時中、住む家を失ったドイツの夫人が住んでいたこともあったそうで、堀辰雄の没後は、深沢省三・紅子画伯が大切に住まい続けられました。軽井沢文庫の深い緑の中にひっそりと佇む堀辰雄山荘。堀辰雄はもちろん、建築好きの方は、ぜひ訪れてみてください。

軽井沢高原文庫/GK設計

堀辰雄ゆかりの場所

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