【軽井沢・追分宿】歴史好きにはたまらない、浅間三宿「追分宿」の散策

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その土地、土地にはそれぞれ歴史が刻まれています。そして、その歴史を知るとまた新しい発見があるものです。サマーシーズンの人でごった返す中心地をちょっと離れ、静かな歴史スポットを訪ねる旅をしてみませんか? ご紹介するのは「追分宿」。宿場町の雰囲気を今も感じられる、軽井沢散策には打ってつけの街道です。石畳の風情ある道をゆっくりと散策すれば、軽井沢のいにしえはもちろん、軽井沢と日本各地とのつながりも見えてきます。

江戸時代に入り、参勤交代により大きく発展。民謡・追分節の発祥の地

追分宿の街並み
追分宿の街並み

「追分宿」は、中山道六十九次のうち、江戸から数えて二十番目の宿場です。この宿は、古代に整備された官道時代から交通の要衝で、浅間根腰の三宿(軽井沢、沓掛、追分)」のひとつとして、江戸時代にはたいそう繁盛しました。

官道時代は40戸ほどの小宿でしたが、江戸時代に入り、中山道の大改修が行われます。その結果、参勤交代が実施され、急速に発展していくのです。中山道と北国街道との分岐に位置したこともあり、人馬の往来は激しく、貞享(1684年~1688年。徳川綱吉の時代で元禄の前)当時の記録によると、旅籠屋71軒、茶屋18軒、商店28軒、その他5軒もの大きな宿場に成長。のちの元禄時代には、戸数152軒、人口892人(男354、女534、出家4)にもなりました。

追分宿には、本陣1、脇本陣2、問屋1が置かれ、宿場町として他のそれとは比べ物にならないほど整備されていたといいます。そのことをよく表わしているのが「追分節」。♪追分1町2町3町4町5町ある宿で♪と歌われ、町が区割りされていたことが分かります。また追分節は宿の最盛期に200人から270人もいたとされる飯盛り女たちの情を歌い上げているともいわれ、軽井沢の追分は、日本各地で歌い継がれている追分節の発祥の地。この宿、街道から全国に広がっていったのです。

追分宿 散策マップ

追分一里塚~追分郷土館~芭蕉句碑

軽井沢追分宿一里塚
追分一里塚

では、散策を東から始めたいと思います。まずご紹介したいのが、国道18号線「追分」信号から西に少し進んだ場所にある「追分一里塚」。知識のない人からすると一見何の変哲もないこんもりした緑に覆われた土地にしか思えないかも知れませんが、ここは江戸時代の旅人にとっては目印となる重要な場所。目を閉じれば当時の往来が浮かんでくる、歴史を感じることができる散策スポットです。

通常、塚は道を挟んで両側に対で設置されるものですが、現存する多くの一里塚は片方だけ。追分一里塚は対で残る貴重なもので、軽井沢教育委員会も「追分の一里塚は、よく原形を保って当時を偲ぶことのできる貴重なものである」と指摘しています。

軽井沢追分郷土資料館
追分郷土館

追分一里塚からさらに西に進むと、18号線から右手に入る道があります。そこからがいよいよ「追分宿」へと進む「追分通り」。途中、「追分郷土館」や「芭蕉句碑」、「堀辰雄記念館」などが迎えてくれます。

御影用水のせせらぎ

歩むうち、道路右側に御影用水のせせらぎが見え始め、そこの手前右を北向きに進むと、縄文時代からの追分宿の歴史等を紹介する「追分郷土館」に、少し先にある小さな石橋を渡ると浅間神社(あさまじんじゃ)につながります。鳥居をくぐった左手に、「芭蕉句碑」が見えてきます。

浅間神社(あさまじんじゃ)
追分の芭蕉句碑
芭蕉句碑

吹き飛ばす 石も浅間の 野分けかな」

軽井沢町教育委員会によると、芭蕉百年忌に当たる寛政5年(1793)に佐久の春秋庵の俳人たちが建てたそう。ちなみに右手には「追分節発祥の碑」があります。

堀辰雄文学記念館

堀辰雄記念館
堀辰雄文学記念館

追分通りをさらに西に進みます。すると左に曲がる小路の先に、「堀辰雄文学記念館」が建っています。軽井沢をこよなく愛した作家・堀辰雄は、「美しい村」や「菜穂子」など、軽井沢を舞台にした小説を数多く残しています。そんな堀に関する貴重な資料を展示しているのが「堀辰雄文学記念館」です。

堀辰雄旧邸
堀辰雄が暮らした木造平屋の家屋

カラマツとモミジの並木の向こうには、彼が晩年を過ごした木造平屋の旧居と愛蔵書が収められた書庫が保管され、その立派な入り口は「追分本陣裏門」。記念館の向かい側には、旧脇本陣である旅館「油屋」が佇みます。

追分本陣裏門
堀記念館の入口に移築保存されている「追分本陣裏門」

旧脇本陣 旅館「油屋」

軽井沢追分油屋

旧脇本陣であった旅館「油屋」は、昭和13年に現在の位置に移転して以来、堀辰雄や立原道造、加藤周一たち文士・知識人が好んで執筆や交流に利用した由緒ある宿。堀辰雄の小説「菜穂子」に登場する牡丹屋という旅館は、油屋がモデルとされています。また2階にあった「つげの間」にて、「風立ちぬ」は執筆されたそうです。

現在は、「信濃追分文化磁場 油や」として、アートギャラリーやイベントなど、さまざまな情報発信を行う場所として賑わいを見せています。かつて堀辰雄が泊まった部屋は、会員資料室として保存。平成24年から、本館2F・和室5部屋が宿泊(素泊まり)できるようになりました。

蕎麦処 ささくら

追分ささくら

散策していればお腹が空きますね。ここらで少し、休憩と行きましょう。おススメしたいのは、「蕎麦処 ささくら」。細切りでコシのある二八の石臼引き蕎麦は、風味豊かでのど越し爽やかです。そんな蕎麦に合わせたいのは、やはり天ぷら。サクッサクの食感がたまりません。メニューも全体的にボリューム感◎。信州みそと辛味大根のしぼり汁でいただく「おしぼりそば」や限定の「あらびきそば」が人気です。

一歩ベーカリー&カフェテリア

軽井沢一歩ベーカリー

がっつり系ではなく小腹が空いた方や洋食がいいという方には、「一歩ベーカリー&カフェテリア」をおススメします。美術家でもあるオーナーが、素材や製法にこだわり抜いて焼き上げる、旨味・香り豊かなパンの数々。看板商品の「ライ麦パン」に「田舎パン」、「ノアレザン」、発酵バターを使ったしっとり感のある「クロワッサン」や生地に雑穀が入っている「あんぱん」など、多種多様なパンが常時30種類くらい並びます。併設のカフェではモーニングやランチも食べられて、自家製の酵素ジュースや野菜たっぷりのスープが付いたランチは評判です。ランチタイムの11時〜14時以外ならイートインすることも可能。お土産にもいいですね。

枡形の茶屋

枡形の茶屋
枡形の茶屋(津軽屋)

お腹を満たしてさらに西に進むと、追分通りの終点(追分宿西側の出入り口:京口)に近づきます。そこには昔、道を鍵の手に屈曲させた「ます形」と呼ばれる場所があります。これは宿内の防衛のためにつくられたもので、外から中の見通しがつかないようにすることを目的としました。このます形にあった茶屋を「ます形の茶屋」と呼び、現在も残る建物が、「枡形の茶屋(津軽屋)」です。

追分の分去れ

軽井沢追分分去れ

追分通りは、「追分宿」の信号から再び国道18号に合流します。そこからもう少し西に進むと、さらに二股の分岐点に出くわします。ここが「追分の分去れ」。長旅の途中や追分宿で仲良くなった旅人が、別れを惜しみつつそれぞれの道を進んだ場所だったことから、このように名付けられたといいます。現在は、石仏や供養塔、常夜灯が残る史跡となっています。

そこにある句碑には「さらしなは 右みよしのは左にて 月と花とを追分の宿」と書かれています。姨捨の田毎の月と奈良の吉野の桜の方向に、ここから分かれていくのです。また、江戸時代中期の博物学者で有名な平賀源内の門人で、狂歌師・浦木浦燦ではないかと言われている「森羅亭万象の歌碑」もあり、「世の中は ありのままにぞ 霰(あられ)ふる かしましとだに 心とめぬれば」と彫り込まれています。

追分シャーロックホームズ像

ちなみに、その場から数mほど北国街道側に進むと、庚申塚や馬頭観音が祀られた緑地の中に「シャーロックホームズ像」が立っています。翻訳家・延原謙が追分の「油屋旅館」の離れで物語を全訳したことを記念し、この地に銅像を建てたそう。ぱっと見ただけでは「なぜこんなところに?」と不思議に思いますが、軽井沢とシャーロックホームズは、このようなつながりがあるのです。

まとめ

いかがですか? クルマで来られる方は、町営の「追分宿駐車場」を利用することをおススメします。「追分一里塚」(国道18号)から「追分通り」に入り、「追分郷土館」へ向かう道のちょうど前(左手)くらいにあります。普通車42台、大型車3台が止められ、24時間365日オープンしていて無料で利用できるのでお得です。軽井沢の歴史を知る穴場スポット「追分宿」散策。ぜひ訪れてみてください。

町営の「追分宿駐車場」

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