【軽井沢・伝説】昔々から語られてきた17の言い伝え、その3

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古来より、軽井沢に伝わるさまざまな伝説シリーズパート3。軽井沢の17の伝説をご紹介する最終回です。今回は6つのお話をご紹介します。

12.押立山

源頼朝が浅間山麓に鷹狩りに出かけた時のこと。たいそうかわいがっていた鷹が逃げ出し、海抜1102mの押立山に巣をつくったそうです。それ以来、押立山一帯はとても多くの鷹が繁殖したと言われています。当時は、こんなエピソードから「雄鷹(おすたか)山」とも呼ばれていたそうです。

13.妙峨岩(冥加岩:みょうがいわ)

南軽井沢から発地のほうに切り立ったような岩があり、それを妙峨岩と言います。口碑伝説によると、その昔、ある寺の住職がたくさんの黄金を埋めて、次のような歌に詠み、岩に彫り付けたそうです。

「朝日さす 夕日かがやくその間に 黄金千枚二千枚」

その後、幾人もがここを掘ったそうですが、誰も掘り出すことはできなかったと言われています。

14.馬取萱(まとりがや)

源頼朝は、武芸を磨くために、しばしば浅間山麓に狩りに来たと言います。あるとき、愛馬が何者かにおびえ、逃走してしまいます。しかし、愛馬はカヤの深い茂みに入り込み、進むことができなくなり、無事に取り押さえることができました。そんな逸話から馬取萱と名付けられているそうです。

15.大男デーランボー

昔々のこと。浅間山麓には雲を突き、浅間山をひと跨ぎするほどの大男が住んでいたそうです。大男は毎日、イノシシを手捕りにし、岩をかまど代わりにして煮炊きしていたといい、矢ヶ崎山の山頂付近にあるかまどに似た岩が、その跡だと伝わっています。また雲場池は、デーランボーの足跡でできたのだとか。ちょっと怖いような、でもとてもユーモラスな伝説ですね。

16.「鬼の目玉」をさす話

軽井沢付近には、毎年1月のみそかの日になると鬼が各家を回って美しい娘がいる家を確かめておき、3月の節句の日にそのうちの一番美しい娘をさらっていくという言い伝えがありました。そのため、みそかには鬼の目玉に見立てた大きな団子を三つずつ串刺しにして、部屋に刺しておく風習が生まれたのだそう。こうすることで、それを見た鬼は「おれの目玉は二つだというのに、人間の目玉は三つもある」といって逃げていくのだとか。3月3日にひな人形を飾るのは、娘の姿にまやかして鬼の目を惑わすためだと言われています。

17.殿様のお通り

追分宿の石畳
お殿様がお通りになったであろう追分宿は、当時の建物がいくつか残っています。

殿様がお通りになる際は、役所から知らせが来て、宿の者たちはそれぞれの持ち場の道路の世話をすることになっていました。何万石もの大名が通られるときは道路上の掃除はもちろん、各戸の前に新しい砂を持ってきて土が見えないほどに道路1mくらいに敷き詰めたそうです。さらに、各戸門口の適当な場所に二筒の盛沙を行って敬意を表し、村の役人は袴の礼装で宿外れまで送迎。子どもには1mほどの棒を持たせ、「先払い」(露払いともいう)をさせ、それに続いて村役人や御本陣の主人等が案内申し上げ、一般村人は土下座をして頭を伏せたのだと言います。当然ながら、家の中から覗いて観るというようなことはできませんでした。そんな殿様のお通りは、なんとほとんど毎日、どこかしらの大名が通ったとされています。

まとめ

軽井沢に伝わる17の伝説はいかがでしたでしょうか? 最後の「殿様のお通り」は伝説というより、本当のお話のようですね。ぜひ地図を参考に、伝説巡りを楽しんでみてください。※ご紹介した伝説は、軽井沢町観光経済課発行「軽井沢案内2019」を参考にさせていただきました。

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