【軽井沢・伝説】昔々から語られてきた17の言い伝え、その1

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軽井沢には、古来から伝わるさまざまな伝説があります。とても興味深いものや少し気味が悪いもの、愉快なお話、悲しい物語等など。そんなお話を知ったうえで、それが伝わる場所に足を運ぶのも軽井沢の楽しみ方のひとつではないでしょうか。今回は軽井沢の17の伝説をご紹介する第一回目です。まずは5つのお話をご紹介します。

1 碓井貞光の力だめしの石

碓井貞光の力だめしの石

平安時代中期の武将である碓井貞光。後に大江山の鬼退治で有名な源頼光の四天王の一人と言われた人物です。彼は碓氷峠の山奥で生を受け、幼名を荒童子、もしくは荒太郎と呼ばれていたそうです。その名前の通り、幼い頃から力自慢で、自分の力を試してみたとされる石が今も残されています。

碓氷峠・力だめし石

2 雲場の大くも

新緑や紅葉の名所である「雲場池」は野澤源次郎がこの一帯を別荘地として開発した時に、造られた人造湖です。

昔々、雲場池に大きなクモが住んでいました。ある時、旅人が湖畔の柳の木のもとで休んでいると、いつしか、ついうとうとしてしまいます。すると美女がやってきて糸をかけて池に入っていくのが見えるではありませんか。美女は池から出ては糸をかけ、出てはかけを何度も何度も繰り返します。旅人はその様子に驚き、その糸を柳の大木にそっとつけ、傍らで伺っていると、いよいよかけ重なって白くなった時、さすがの大木も根元から抜け落ち、あっという間に池の中に沈んでしまったそうです。

3 カクレ里

離山の山頂南斜面の急な場所に、「カクレ里」と呼ばれる洞窟があり、その昔、大金を蓄えた義賊が住んでいました。そして、そこに住み暮らしながら、この土地の貧しい人たちを助けたと言われています。現在、この「カクレ里」の洞窟は、コウモリの巣となっているようです。

4 遠近(おちこち)の里

遠近宮
沓掛宿と追分宿の間にある借宿地区に建つ「遠近宮」

昔は、浅間山麓一帯は、七つほどの谷のようになっていて、その谷ごとにわずかな人家があったそうです。そこは、広い範囲にぽつぽつと人家が散在していたことから、「遠近の里」と言われていました。在原業平がこの里を通った際、「信濃なる 浅間の岳に立つけぶり おちこち人の見やはとかめぬ」の歌を残されたそうです。

5 笑い坂

追分宿に飯盛女がたくさんおり、たいへんな賑わいをみせていた頃、近郷から遊びに来る若い衆がとても多かったそう。御代田から人家のない寂しい道をのぼって、この坂のあたりまで来ると、紅く染まった追分の空が見え、にぎやかな音が流れてきたと言われています。彼らは「ここが追分だ」とつぶやき、今までの身仕度をすっかり変えて、うれしさのあまり微笑んだという言い伝えが残っています。

まとめ

いかがでしたか? 軽井沢にはこんな伝説、言い伝えがほかにもたくさん残っています。今後、順次ご紹介していきますので、ぜひ軽井沢を訪れた時は、伝説巡りを楽しんでみてください。※ご紹介した伝説は、軽井沢町観光経済課発行「軽井沢案内2019」を参考にさせていただきました。

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