【ジョンレノン】軽井沢をこよなく愛したジョンの足跡を辿る

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ジョン・レノン。この名を知らない人はまずいないことでしょう。彼が残した楽曲の数々、そしてメッセージは今も記憶され、ミュージシャンやアーティストたちをはじめ、多くの人々に影響を与え続けています。今回はそんなジョン・レノンと軽井沢との関りをお伝えしたいと思います。

オノ・ヨーコとともに何度も訪れた日本、そして軽井沢

ジョン・レノンが初めて日本に訪れたのは、1966年6月29日。ビートルズの一員として来日し、日本武道館で合計5回の公演後、わずか4日後の7月3日に離日しています。

万平ホテル近くにある小野家の別荘(現存しています)

同年、オノ・ヨーコと知り合い、その後、結婚。そんな中で日本とのつながりが深くなった彼は、以降、頻繁に日本を訪れます。ジョンと軽井沢との関りはそんな中から生まれるわけですが、おそらくオノ・ヨーコの実家の別荘が軽井沢にあったことから、訪軽するようになったのではないでしょうか。

訪軽中の定宿となった「万平ホテル」。128号室がお気に入り

万平ホテル エントランス
万平ホテル エントランス

1970年に初めて軽井沢の「万平ホテル」に宿泊。1976年から1979年には毎年、ヨーコ、そして2人の間に生まれた息子のショーンとともに訪れ、東京や京都を楽しむとともに軽井沢にて夏を過ごしたそうです。

余程、気に入ったのでしょう。万平ホテルは彼の定宿となりました。1976年からは万平ホテルの「アルプス館」の「128号室」に決まって泊まったそうです。軽井沢彫りの家具をはじめ、クラシカルな設えが心地よかったのかも知れません。この部屋で撮られた家族写真も多く残され、発刊された写真集にも掲載されています。

万平ホテル テラス席
万平ホテル テラス席

万平ホテルには、128号室のほかにも、ジョンがとてもお気に入りだった場所、ものがあります。それは「カフェテラス」。いつも奥の席に座り、これもお気に入りだった「アップルパイ」と「ロイヤルミルクティー」を楽しんでいたそうです。ちなみにロイヤルミルクティーは、当初ジョンが特別にオーダーしたもので、のちに彼が教えたレシピ通りのものが定番メニューとして追加されたのでした。

もう一つ、万平ホテルでお気に入りだったものがありました。それはピアノです。現在、1階のロビー奥にある「資料館」に展示されていますが、かつてはダイニングルームに置かれ、ジョンもたびたび弾いていたのだとか。あまりに気に入り、「ぜひ譲って欲しい」と言われたこともあったそうです。

ちなみに万平ホテルの駐車場から小さな小道が伸びており、そこからオノ・ヨーコの別荘(小野家別荘)に向かうことができます。公開はされてはいませんが、きっとジョン・レノンファミリーも、そこを通ったことでしょう。

万平から幸福の谷へ抜ける小道

愛息と遊び、お昼寝も楽しんだ隠れ家「離山房」

中軽井沢の鬱蒼とした雑木林の中にひっそりと佇む「離山房(りざんぼう)」。ここもジョン・レノンファミリーが足しげく通ったお気に入りの場所です。1977年5月にオープンしたお店に彼らが初めて訪れたのは、その年の夏の終わり頃。それから幾度も、Tシャツに短パン、ゴム草履という軽装で、自転車に乗ってやってきたそうです。

離山房の「コーヒー」や「ブルーベリージュース」が大好きで、店の奥手にある静かな「東屋」がいつもの定位置。ショーンと戯れ、ハンモックに揺られてひと眠り。近くの木には、ショーンの背を測った印が今も残されています。記念撮影(店内に掲示:撮影不可)した際に家族が座ったパイプ椅子もそのままで、そこに座ることもできます。ファンにはたまらない、まさに聖地といえるでしょう。

自転車に乗ってフランスパンを買い求めに来た「フランスベーカリー」

次は、ジョン・レノンが大好きだったパンをご紹介しましょう。軽井沢には美味しいパン屋さんが数多く建ち並びますが、その中でもジョンが愛したのが「フランスベーカリー」。旧軽井沢銀座通りにあります。

店内にはジョンの写真が飾られています

フランスベーカリーは、万平ホテルのベーカーチーフだった方が創業されたお店。いまも当時のレシピのままに焼かれています。数あるパンの中でジョンが大好きだったのが、「フランスパン」。乗ってきた自転車の前かごにパンを放り込む彼の姿が写真になって、店内に飾られています。

記念にフランスパンを買いたい方は、ハーフサイズがおススメ。人気の塩クロワッサンなど種類も豊富で、イートインスペースもあるので、ぜひ立ち寄り、味わってみてはいかがでしょう。

中華料理「滎林」で、元祖・酸辣湯麺に舌鼓を打つ

最後にもう一つ、ジョン・レノンのお気に入りの店をご紹介します。それは中華料理「榮林(えいりん)」です。もともと日本料理屋「榮林(えいばやし)」として創業しましたが、「和の雰囲気で新しい中華料理を」というアドバイスを受けたことから誕生しました。中華本来の豪快な味と繊細な和の味が生かされたメニューの数々が、多くの人を魅了しています。

ジョン・レノンもその一人。家族と一緒に何度も来店しました。1979年の夏に訪れたのが最後となり、そのテーブルは記念のプレーとともに今も残されています。入り口を入って正面のテーブルです。

ジョンも大好きだったという「酸辣湯麺」

おススメは、看板メニューであり、ジョンも大好きだったという「酸辣湯麺」。酸辣湯麺は、今ではどこでも食べられるものですが、実は発祥がここ。中国から伝わった料理ではなく、榮林のまかないから生まれたオリジナルメニューだったのです。ぜひジョンへ思いを馳せながら、舌鼓を打ってみてください。

まとめ

ジョン・レノンは、1980年12月8日、ニューヨークの自宅前で銃撃され死亡。大好きだった軽井沢へ、もう訪れることは出来なくなりました。ファミリーが行きつけだった離山房には、一つのエピソードが残されています。

彼らが最後に訪れた1979年の夏のこと。ジョンは忘れ物をします。それはメガネとジタンのタバコとライター。また今度、来た時にと思っていたのでしょうか。すぐに取りに戻ることはなく、時は流れるのです。

離山房には、その愛用品(レプリカ)が展示されています。また最後にレノン夫妻が使用したコーヒーカップや、後日届いたオノ・ヨーコからの手紙なども飾られています。

軽井沢にはほかにもジョン・レノンが愛し、立ち寄った場所がいくつもあります。今回はその一部をお伝えしましたが、さらなる足跡を追う旅も、軽井沢の楽しみ方の一つと言えるでしょう。

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