【軽井沢・川端康成】街の風情や気候が気に入り、名作をいくつも残す

  • Pocket

川端康成といえば、言わずと知れた文豪ですが、軽井沢と縁が深ということをご存知でしょうか。実は彼は軽井沢に二つの別荘を買い求め、過ごしたそうです。今回は、川端康成と軽井沢の関りについてお伝えしたいと思います。

噂を耳にし、「つるや」を訪れるも…。お気に入りの旅籠に出会う

川端康成が初めて軽井沢を訪問したのは、昭和11年の初夏のこと。その当時、軽井沢には芥川龍之介や室生犀星、片岡鉄兵などの文人がこぞって滞在し、作品を執筆していたことから、その噂は川端にも届いたのでしょう。彼らが愛した「つるや」に泊まるべく、足を運んだそうです。

つるや旅館
今も当時の建物が残る「つるや旅館」

しかし、時期が時期、そして有名なつるやですから、当然のごとく満室。番頭は丁重に断りを入れるとともに、少し下手に位置する小さな旅籠「藤屋」を紹介します。ところがあいにく、藤屋も満室。一計を案じた藤屋主人の小林忠義氏の妹であった愛子さんが、一つだけ広い部屋に宿泊していた学生に相部屋を頼み込み、「相部屋ならば」と川端を招き入れてくれたそうです。

きっと彼も苦笑いしたことでしょう。でも、藤屋のいかにも宿場町らしい風情が気に入り、宿泊することに。学生も高名な作家の顔を知らず、ようやく翌朝の食事の時になって、愛子さんが川端康成本人だということに気づくのでした。「もう二、三泊したい」という川端の希望を受け、愛子さんは急いで空いたばかりの別室を用意。その部屋は、窓から神宮寺の境内が見下ろせる小部屋だったといいます。

トンネルを抜けるとそこは…、川端康成の別荘に

結局、目的のつるやには泊まれなかった川端ですが、どうやら藤屋、そして軽井沢をたいそう気に入ったようです。翌年の昭和12年には、別荘を購入します。同年の7月から9月まで藤屋に滞在し、あの有名な「雪国」で文芸懇話会賞を受賞した賞金を元手に、桜の沢一三〇七番の別荘を仙台に住んでいたシップルという外国人宣教師から買うのでした。

川端秀子さんの手記によると、二千三百円くらいで購入したそう。話が決まったのは8月20日過ぎ、登記は9月になってからで、川端夫妻はその年の11月末まで別荘に滞在したようです。この別荘には一つ、エピソードが残されています。実は川端夫妻が別荘を離れた後、堀辰雄が借り受け、「風立ちぬ」の終章を書き上げたのでした。

満州事変、支那事変、太平洋戦争の勃発など、いよいよ世の中が不安定になる中、日本から外国人の引き揚げが相次ぎます。昭和16年には、川端康成は桜の沢一三〇五番にある別荘を、故国に帰るイギリス人宣教師から購入・転居します。この二度目の別荘は、いまも現存しています。そして、ここでも数多くの作品を執筆したそうです。

まとめ

いかがでしたか。川端康成は初めて来軽した翌年には別荘を購入していますから、よほど気に入ったのでしょう。川端だけでなく、多くの文人墨客が愛した軽井沢には、彼らの足跡がそこかしこに点在しています。泊った旅籠、立ち寄った店、静かに過ごした別荘…。彼らが活躍した時代に思いを馳せながら、訪れるのも軽井沢ならではの楽しみ方ではないでしょうか。

  • Pocket

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*