雲場池の紅葉
HISTORY

【軽井沢・野澤源次郎】軽井沢中興の大恩人と称された人物の足跡(第一回)

別荘地・軽井沢を語るうえで欠かせない人物がいます。それは野澤源次郎。大正初期に旧軽井沢沢西の広大な土地を取得し、富裕層向けの別荘地分譲を行った方です。今回は、その野澤源次郎にスポットを当て、彼がどのようにして軽井沢に関わり、開発を進めていったのか、その足跡をご紹介したいと思います。

雲場池の紅葉
新緑や紅葉の名所である「雲場池」は野澤源次郎がこの一帯を別荘地として開発した時に、造られた人造湖です。

明治・大正・昭和を駆け抜けた大実業家

まずは野澤源次郎(1864年:元治元年~1955年:昭和30年)という方の略歴をご紹介しましょう。源次郎は、明治15年に慶應義塾を卒業後、父である野澤卯之吉が経営する貿易商・野澤組に入店します。それまでは居留地貿易を行っていましたが、積極的に海外に目を向け、直輸入と直輸出を開始。世界各国に支店、出張所を展開し、野澤組を大発展させるのです。

大正10年には、大蔵省為替調査委員会委員に任ぜられ、大正12年には大蔵省経済調査会委員に。東京商業会議所特別委員、日本貿易会評議員、日本産業協会会員などを歴任し、紺綬褒章も授けられました。大隈重信や桂太郎、加藤高明、後藤新平、高橋是清、牧野伸顕、尾崎行雄らとの親交もとても厚かったそうです。

大正4年に約200万坪もの広大な土地を取得。別荘地開発へ

そんな野澤源次郎は、いつ頃から軽井沢に関わっていたのでしょうか。実はその答えは明確ではないのです。「避暑地軽井沢」(小林収著)では、「大正4年、貿易商野澤源次郎は、川田龍吉、肥田濱五郎らの所有していた土地を譲り受け、続いてその周囲の土地を買収して、離山のふもと一帯の約200万坪にわたって土地分譲と別荘経営を計画した」とあり、「軽井沢物語」(宮原安春著)では、「野澤源次郎は大正4年、川田龍吉、肥田濱五郎などの所有土地約160万坪を買収した。これは離山から三度山にかけての広い領域で…」、さらに「軽井沢 想い出のあの頃」(幅北光著)では、「広大な面積の雲場池周辺地から離山下、三度山にまたがる盆地草原を手に収めた。さらに愛宕山の山頂付近もあわせて買収し、大規模な別荘地造成を目論んだ」と記されています。

また、地元に住む土屋源一郎氏(戦時中の軽井沢町長)の手記(大正6年発刊「住宅 八月号」)によると、「…大正四年の十一月、東京の野澤源次郎氏が雲場池一帯約百万坪の高原を買収して開発の斧を入れてからである」とあります。こうしてみると広さについてはさまざまな記述があるものの、大正4年に土地を手にしたことが分かります。

軽井沢の清澄な空気に癒された経験から、別荘地開発を思い立つ

そもそも、野澤源次郎がなぜ軽井沢に目を付けたのか。それについては、宮内省侍医青山胤道(あおやまたねみち)博士の勧めであったとされています。青山博士は軽井沢に別荘を持っていて、その自然やオゾンの豊かさを知っていたことから、もともと病弱であった源次郎に軽井沢での静養を進めます。源次郎は大正3年に数か月の転地療養をし、その体験から軽井沢を保養別荘地として開発することを思いついたといいます。

これがこれまで野澤源次郎と軽井沢の最初の関りとして語り継がれてきましたが、どうやらそれよりも以前に、源次郎はたびたび軽井沢を訪れ、すでにいくつかの土地を取得していたようです。大正2年5月に、旧軽井沢地区の墓地を雲場原字西梅原に移転(軽井沢霊園)しているのですが、その経緯を調べると、源次郎は公共墓地用地として約3600坪を軽井沢に寄贈しています。また同じく大正3年には元英国公使の別荘を購入。青山博士が軽井沢に別荘を建てたのは明治37年なので、この頃から源次郎は、軽井沢に足を運んでいたのではないかとも考えられるのです。

大正4年、細川護立候、徳川慶久公への分譲が皮切り

細川護立の別荘
細川家の別荘

いずれにしても、本格的に軽井沢が別荘地として開発・分譲され始めるのは、大正4年。「華族令嬢たちの大正・昭和」(吉川弘文館)には「細川護立は大正4年に、徳川慶久とともに野澤組より土地を購入した。…あめりか屋の建築になる細川家の洋館別荘が完成したのは大正5年である」と記され、事実、野澤組に保管されている「土地売上明細帳」には、一と二は細川護立、三は徳川慶久、九はダニエル・ノルマン、二十六は大隈重信とあるそうです。その錚々たる顔ぶれを見るにつけ、源次郎の大政治家諸侯から受けた信頼が、いかに絶大なものであったかが分かります。

まとめ

野澤源次郎という人物が、軽井沢でなした功績は語り尽くせないほど。そこで第一回目は、源次郎と軽井沢の関りについて書いてみました。今後、軽井沢別荘地がどのように計画され、発展していったかなど、その歩みや源次郎の想いをお伝えしていきたいと思います。

なお、上記記事は、澤源次郎の孫にあたる岡村八寿子さんが上梓された「祖父 野澤源次郎の軽井沢別荘地開発史より 源次郎と3人の男たち」を参考文献として書かせていただきました。

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